
病院に到着すると、夫はすぐに検査室へと運ばれていきました。
ストレッチャーのまま廊下を曲がり、
冷たい白い扉の向こうに消えていきます。
私は、その扉の前で立ち止まりました。
それからしばらく、何もすることがありませんでした。
誰もいない廊下のパイプ椅子に座り、
ただ、時間が過ぎるのを待ちます。
壁にかかった時計の秒針の音だけが、
やけに大きく、頭の中で響いていました。
どのくらい時間が経ったのか、正直よく覚えていません。
ふいに名前を呼ばれて、診察室に入ります。
大病院のイメージとは少しかけはなれた、気さくな感じの先生が座っていました。
私の目をまっすぐに見て、落ち着いた声で説明を始めました。
「驚かれると思いますが、旦那さん——」
そこで、ひとつの言葉を聞きました。
「くも膜下出血です」
頭の中で、その言葉がうまく意味を持ちませんでした。
くも膜下出血。
もちろん、聞いたことはあります。
でも、それが今、自分の家族に起きていることだとは、
どうしても理解が追いつきません。
なぜなら、私がニュースやテレビで見て知っていたその病気は、今の夫の状況とは、あまりにもかけ離れているからです。
『雷に打たれたような突然の激しい頭痛が起こり、そのまま意識を失う』
私の記憶の中では、そんな恐ろしいイメージでした。
たしかに夫は、青白く弱々しい状態でしたが、さっきまでちゃんと私と話せていたんです。
だから、目の前の医師の言葉と、夫の姿が、どうしても結びつかなくて。
続けて、いくつかの説明をされました。
くも膜下出血は、脳の動脈にできた「脳動脈瘤」というコブが破れて起こる病気ということ。
これから行われる手術のこと。それに伴う、命のリスクのこと。
ちゃんと聞いているはずなのに、
やっぱりどこか、現実のことのように感じられませんでした。
医師から説明を受けたあと、
夫はそのまま全身麻酔で眠らされることになりました。
出血の影響で、脳の状態がまだ安定していないこと、
再出血した場合、助からない可能性が高いこと。
そのため、慎重に状態を見ながら
翌日に手術を行う、とのことでした。
夫はそのままICUへ運ばれていきました。
看護師さんから入院の説明を聞いて、
何枚もの書類に自分の名前を書いた後、病院を出ました。
時刻は日付が変わる頃になっていました。
タクシーを呼んで、最寄り駅まで行きました。
初めて来た病院だったので、その駅も初めてでした。
駅のホームで終電を待つ間、息子と娘に電話をかけました。
同居している義母には顔を見て話したほうがいいと思い、かけませんでした。
自分の子供がそんな状態になっていることを知ったら、
心配でどうにかなってしまうんじゃないか。
子供たちに電話をかけた時に、ふと、そう思ったからでした。
その後、夫の同僚に電話をかけて状況を説明しました。
「絶対、大丈夫」
そう言ってくれました。
電話を切った後、なぜだか、急に、とてつもなく寒くなってきました。
ベンチに座ったまま、震えと涙が止まりませんでした___。
次回は、
**「手術室の前で、待つ時間」**
について書こうと思います。
