火事、浮気、父との別れ。  「なんとかなる」は、本当に強さだったのか

子どもの頃から、私はずっと「なんとかなる」と思って生きてきました。

お金がなくても、食べるものが野草だけでも。
少しくらい不安でも。

「まあ、大丈夫でしょ」

そうやって、マヨネーズ片手に今日を越えてきた。
それは確かに、私を何度も助けてくれたサバイバル力でした。

でも。
19歳から28歳にかけての約10年間。
私には、これまでの知恵だけではどうにもならない、本当の「怒涛の波」が押し寄せました。

結婚、そして出産。
ここまでは、幸せな波でした。

でも、人生はやっぱり順番なんて守ってくれません。
夫の裏切り(浮気)。
子供の入院。
住んでいた家の火事。
そして、大切な父(貧乏の原因だったけれど、それでも大黒柱だった)の逝去。
(※これらの人生ハードモードなお話たちは、これから少しずつ書いていこうと思っています。)

息をつく暇もなく、次々と目の前が真っ暗になるような出来事が降ってきました。
さすがに、マヨネーズと野草のユーモアだけでは、乗り越えられない波でした。

大人になって、ふと立ち止まる瞬間がありました。
あの頃の私は、本当に“強かった”のだろうか、と。

「なんとかなる」という呪文は、とても便利です。

怖いことがあっても、悲しいことがあっても、とりあえず無理やり前に進める。
だけどその代わりに、私はいつの間にか、誰にも弱音を吐けなくなっていました。

「平気だよ」
「大丈夫」
「私がどうにかするから」

気づけば、そう言って笑う側の人間になっていたんです。

本当は、不安で押しつぶされそうな日もあった。
本当は、誰かに「もう無理かも」って泣きつきたい夜もあった。
本当は、「たすけて」と言いたかった。

でも、あの貧乏な家で身についた癖が、心より先に動いてしまう。

ないなら、考える。
足りないなら、工夫する。
つらいなら、笑いに変える。

泣く前に、感情を処理してしまう。
それが、できてしまったんです。

でも、あるとき気づきました。

私は“折れなかった”んじゃない。
折れる前に、必死で自分を補強していただけだったのかもしれない、と。

それは確かに、過酷な現実を生きる力でした。
でも同時に、自分自身をまったく休ませない、残酷な力でもあったんです。

火事のあとの焦げた匂いの中で。
父を見送ったあとの静かな部屋で。

私はようやく、そのことに気づきました。

それでも今、私は「なんとかなる」という言葉を嫌いにはなれません。
この言葉に何度も救われ、ここまで立ってこられたのは事実だから。

ただ、あの怒涛の20代を経て、少しだけ使い方を変えたいと思うようになりました。

昔は、「(誰にも頼らず、ひとりで)なんとかする」だった。
今は、**「(助けてもらいながら)なんとかなる」**でいい。

強さって、全部ひとりで背負い込むことじゃない。
少し弱くなれることも、たぶん、本当の強さのひとつなんだと。

あの頃の私は、生き延びる工夫を覚えました。
笑える余白も覚えました。

そして、怒涛の経験値爆上がり期を経て、やっと覚え始めたんです。

「頼ること」も「手放すこと」も、生き延びる力の一部だということを。

「なんとかなる」は、やっぱり私の最強の味方です。
でもこれからは、少しだけやさしい意味で、自分に向けて使っていこうと思います。

さて。
こうして「少しだけ人に頼る」ことを覚えた私ですが、人生は休ませてくれませんでした。

次回は、
**「29〜46歳。子どもの成長と共に、体力と気力を限界まで使い切って駆け抜けた日々」**
について書こうと思います。

あの頃の私、ほんとにずっと走ってたな……。

上部へスクロール