
うちの家は、正直に言うと、お金がなかった。
隠すほどでもなく、盛るほどでもなく、
ただ、淡々と『なかった』。
中学生、高校生。
普通なら、周りの友達の持ち物と比べて『家が貧乏であること』を一番恥ずかしいと思う、多感な時期です。
でも不思議なことに私は、
『うちってかわいそうだな』とは思っていませんでした。
それよりも、どうやって今日をやり過ごすか。
そのミッションの方が重要だったからです。
おやつは基本、出ない。
学校から帰って冷蔵庫を開けても、そこにあるべき**希望**は入っていない。
あるのは、雑然と入れられた調味料たち。
小学生の頃は、空腹を満たすために『野草とマヨネーズ』でサバイバルをしていました。
でも、思春期になると、さすがに少し知恵がつきます。
『どうやら、うちの環境は普通じゃないらしい』と。
そこで私が選んだのは、隠して卑屈になることではなく、**笑いに変えること**でした。
友達に「昨日のおやつ何だった?」と聞かれれば、
「家の裏の草に、マヨネーズかけて食べた!」と、あえて明るく答える。
主役にはなれないけれど、脇役としては異常に優秀な、あの白いやつ(マヨネーズ)。
それを駆使してどれだけ生き延びたかという武勇伝を、面白おかしく語る。
もちろん、『貧乏最高!毎日が楽しかった!』なんていう、綺麗な作り話ではありません。
でも、あの頃の私は、
ないことを嘆くより、あるもので笑うほうが早かったんです。
買えないなら、考える。
出てこないなら、探す。
ダメなら、笑いに変える。
この「ユーモアの順番」が、思春期を過ごすうちに、いつの間にか私の体に染みついていきました。
大人になってから、気づいたことがあります。
あれは単なる強がりでも、我慢でもなくて、**心が生き延びるための工夫**だったんだと。
大げさかもしれないけれど、あの経験がなかったら、
今の私は、たぶんもっと簡単にポキッと折れていたと思います。
大人になれば、理不尽なことなんて山のように降ってきます。
つらいことが起きたとき、頭のどこかで、あの「希望の入っていない冷蔵庫」の空気がよみがえるんです。
『まあ、なんとかなるか』
『とりあえず、笑って今日を越えよう』
それは、根拠のない楽観じゃありません。
一度、本当に『何もない場所』を知っている人間の、野性の感覚です。
どんな絶望の中にも**笑える余白**を見つける癖は、あの家で確実に育ちました。
そう思うと、あの貧乏な思春期も、
少しだけ、ありがたいものに思えるのです。
さて。
この**なんとかなる**という謎の自信を持ったまま、私は大人になりました。
しかし、人生はそう甘くはありませんでした。
次は、**【19~28歳。結婚、出産、火事、そして裏切り。怒涛の経験値爆上がり期】**について書こうと思います。
あの頃の私へ。
マヨネーズだけじゃ、乗り越えられない波が来るよ。
そんなお話です。
