【第二十三話】「お前はもっと楽に生きた方がいい」発症から1ヶ月半、奇跡の職場復帰

退院してから6週間。

この日も、夫は朝からリハビリでした。
私は病院まで車で送って、そのまま仕事へ。
帰りは、また自分で歩いて帰ってきたそうです。

身体が元気に動くというのは、本当にありがたかった。
散歩中には、知り合いに会ったそうです。

でも――
「顔は分かるのに、名前は思い出せなかった」
そんなことが、まだ日常の中で起きていました。

別の日。
朝からリハビリへ行き、残っていたテストを受けました。
そのあと、担当のST(言語聴覚士)の先生から、こう言われました。

「劇的な回復です」

さらに、先生は続けました。
「1ヶ月前の状態の時は、3月からの仕事復帰は難しいと思っていました。でも、今の状態なら……行ってみるのもいいかもしれません」

あの絶望的な状況から考えると、本当に驚くような回復でした。

ただ、私の心の中には、まだ現実的な不安もありました。
夫は、相変わらず朝9時前にならないと起きられません。

これで、本当に仕事へ行けるのか。正直、不安でした。

ある日は、
一日中、革靴を丁寧に磨き、仕事用のスラックスにアイロンをかけていました。
でも、その作業にかなり時間がかかっていました。
以前の夫なら、もっと早く、パパッと出来ていたこと。

仕事へ戻った時、時間配分は大丈夫なんだろうか。
周りに迷惑をかけないだろうか。
そんな心配ばかりが頭をよぎります。

さらに、家にいる安心感からか、お酒の量は確実に増えていました。

そして、職場復帰の前日。
この日も、起きたのは9時前でした。

「本当に、明日から仕事なんて大丈夫なんかな……」

不安は消えませんでした。
そして、この日を最後に、病院でのリハビリはいったん終了となりました。

でも、もう考えても仕方がありませんでした。
信じるしかない。それしかありませんでした。

そして――。
ついに迎えた、職場復帰の当日。

てんかん発作で倒れたあの絶望の日から、まだ2ヶ月も経っていませんでした。
それなのに、ここまで戻ってきた。

朝、仕事へ向かう夫の背中を見送りながら、改めて、夫の生命力の強さを感じました。

3度目の人工骨を入れる手術の前、
「俺は不死身や!」
と笑って言っていたことを思い出しました。

本当に、そうなのかもしれない。

3回も頭を開ける手術をして、何度も危険な状態になって。
それでも、何度も這い上がってきた。

もちろん、一度壊れたものが、完全に元通りになったわけではありません。

でも、
「壊れた部分を補うように、新しい回路を脳が作っていくことがある」と先生が言っていました。
脳って、本当にすごい。そう思いました。

夫を心配しすぎるあまり、気づけば、私の方がメンタルが弱っていました。
そんな私に、夫がふと言いました。

「お前は、もっと楽に生きた方がいい」

その言葉に、思わず笑ってしまいました。
病人のあなたに言われるなんてね、と。

以前、どこかで読んだ言葉があります。
「人は窮地に陥ったから不幸なんじゃない。絶望して悲観するから不幸になる」

あの頃の私は、何度もこの言葉に救われていました。

命がある。それだけで幸せ。
不自由なことはある。でも、私たちは決して不幸じゃない。

希望だけは、絶対に手放したくなかった。

この先も、私たちは何度も高い壁や試練にぶつかることになります。
(※まだこれで、てんかん発作が終わったわけではありません)

でも、そのたびに私は、この言葉を心の中で繰り返していました。

「絶対、大丈夫」と。

次回は、
**【職場復帰後の現実と、再び忍び寄る発作の影】**
について書こうと思います。

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