【第二十一話】キャンセルした銀婚式。そして芽生え始めた「病院への不信感」

退院してから4週間。

この日は、私たちの結婚記念日でした。
銀婚式。25周年です。

本当なら、夫婦で温泉旅行へ行く予定でした。
ものすごく楽しみにしていた旅行。でも、今の状態ではとても無理なので、キャンセルしていました。
仕方がない。

その代わり、二人で外へ食事に行きました。
こうして生きて、一緒にご飯を食べられるだけでも、本当にありがたいことなんだと。
そう深く噛み締めた記念日でした。

ただ、現実はまだ厳しいままでした。

夫は、小学2年生の漢字ドリルを見て、まだ「難しい」と言っていました。
その様子を見て、「あぁ、回復にはまだまだ時間がかかるんだな」と実感しました。

別の日。病院でのリハビリ。
漢字は、少しずつですが出てきています。

でも、何度見ても不思議でした。
「裁判官」という難しい漢字は書けるのに、「会う」という簡単な字が書けない。
難しい漢字は覚えているのに、簡単な言葉が出てこない。

高次脳機能障害というのは、本当に理解しがたい病気です。

ある日、夫が一人で散歩に行っている途中、
私のスマホに「梅の花の写真」を送ってくれました。

道端に咲く花を写真に撮って送ってくるなんて、そんなことをする人ではありませんでした。
だから、その不器用な写真がとても嬉しかった。

その頃、夫から改めて、
「自分の病気について、ちゃんと教えてほしい」と言われました。

私は、自分なりに調べた説明をLINEで送りました。

病識――。自分の障害や病気を正しく理解すること。
それは、リハビリをして回復していくための第一歩です。

でも同時に、「以前の自分とは違う(壊れてしまった)」という残酷な現実を受け入れることでもあります。

きっと、張り裂けそうに苦しいはず。
だからこそ、お酒に逃げないでほしい。
そう願っていました。

ある日、私が仕事から帰ると、夫がリビングで寝ていました。

その瞬間、
「また発作……!?」
と、一気に心臓が跳ね上がり、呼吸が苦しくなりました。

慌てて駆け寄ると、いびきをかいて寝ているだけ。結局、発作ではありませんでした。
でも、それくらい私は、「また倒れるんじゃないか」という恐怖に毎日怯えていました。

聞けばその日は、家で3時間もリハビリのプリントをしていたそうです。
頑張りすぎやん。そう思いました。

脳に負担をかけすぎず、もう少し楽に回復できたらいいのに。そんなことばかり考えていました。

そして、診察の日。
外来で血液検査の結果を聞きました。

薬の血中濃度は安定しているとのことで、てんかんの薬を「夕方だけ1錠」減らせることになりました。少し安心しました。

ですが――。
そのあと受け取った「診断書」を見て、私は強い違和感を覚えました。

そこには、3回目の入院中に病院でてんかん発作を起こし転倒したとき、「脳挫傷」になったことが書かれていない。
さらに、夫の年齢まで間違っていました。

そして何より、先生のこれからの説明も、どこか適当で曖昧でした。

「車の運転は、夏頃にはできるかもね」
「てんかんの薬も、あと1年半くらいかなぁ」
「タバコは別にいいんじゃないかな」

以前と言っていることが違う。

でも夫は、先生のその甘い言葉をそのまま信じ込んでしまい、「夏には運転できるんや!」と喜んでしまいます。

私は、どんどん不安になっていきました。
そのあとのリハビリへ向かう道すがらも、モヤモヤが消えません。

たしかに、少しずつ回復している部分はある。
でも、本当にこの病院のままで大丈夫なのか。

命を預けている病院への「不信感」は、
私の心の中で、少しずつ、でも確実に大きくなっていきました。

次回は、
**【膨らむ不信感。それでも、前を向いて努力する日々】**
について書こうと思います。

上部へスクロール