
退院後6日目。
夫から、こんなことを言われました。
「仕事、行ったら?」
ずっと家にいて、自分の様子をうかがっている私を見て、
『四六時中、監視されてるみたい』と、少し窮屈に感じていたようでした。
私は「わかった」と仕事へ行くふりをして、
隣の母屋(義母の家)にこっそり身を潜めて待機することにしました。
夫が一人で散歩へ行っている間も、何かあったらすぐ動けるように。
再びてんかん発作が起きたらどうしようという不安が、ずっと消えなかったからです。
でも、その日。
散歩の途中の夫から、私のスマホに突然、写真とメッセージが送られてきました。
「ありがとな!」
「これから、いろんなことを思い出す!」
「俺は必要なやつになるから!」
そのLINEの画面を見た瞬間。
張り詰めていた糸が切れたように、ボロボロと涙が出ました。
もともとLINEなんて、ほとんど送ってこない人でした。
だからこそ、不器用なその言葉が、本当に、本当に嬉しかったことを覚えています。
ただ——。現実はそう簡単ではありませんでした。
自分からリハビリをやろうとはしない。
新聞も読まない。
私は、目に見えて回復しない状況に焦っていました。
『焦るな。焦るな。』
そう自分に言い聞かせても、どうしても口出ししたくなってしまうのです。
退院してから1週間。
私は毎日、仕事へ行くふりをして隣の母屋で待機を続けていました。
いつ発作が起きるか分からない恐怖と隣り合わせの日々。
そんな中、退院してから初めて、夫が家でお酒を空けました。
でも、以前の夫とは違いました。
元気がない。やる気もない。
「しんどいから、もう寝るわ」
そう言って、お酒もそこそこに、早く横になる日も増えました。
布団に入る夫の背中を見ながら、私は、
「リハビリ、リハビリ」と口うるさく言ってしまっていた自分を深く反省しました。
自分の頭が思い通りに動かない。一番つらくて、もどかしいのは本人のはずです。
それなのに、やらないと治らない!と、焦ってばかりでいました。
そんな私に、子どもたちが言ってくれました。
「お父さん、負けず嫌いやから。自分でやるって決めたら絶対するよ」
「人から言われても、自分からじゃないと無理やと思う」
その通りでした。
しんどい時に急かされても、ただ苦しいだけ。
今は、本人のペースを信じて待つしかない。
そう、心に決めました。
そして迎えた、2回目のリハビリの日。
この日も、テストがありました。
簡単な漢字が出てこない。文章もうまく伝えられない。
でも――。
自分の名前は、フルネームで漢字で書けました。
話すことも、日常会話なら普通にできる。
だから余計に、不思議でした。
簡単な漢字は出てこないのに、
なぜか『煙草』や、『警察官』といった難しい漢字はスラスラと書けるのです。
リハビリの先生によると、
「難しい漢字ほど、長年の記憶として脳に強く残っていることがある」そうです。
逆に、『会う』と『合う』など、同じ読み方をする言葉を、文脈に合わせて正しく使い分けることが難しくなっていました。
社会でもまだ認識が低いため、自分でも基礎知識をつけようと『高次脳機能障害』について勉強を始めました。
まずは、『高次脳機能障害のリハビリがわかる本』という書籍を買って、必死に読み込みました。
**高次脳機能障害は必ずよくなる**
この文字をみたとき、心がほぐれました。
いきなり高度なリハビリはダメ。全身の状態を整えて、体と心の耐久力をつけてから。
できることを見つけて伸ばすこと。できることは年々増えていく。
できること。
できないこと。
それを、夫と一緒に一つずつ手探りで探しながら、
回復に向けて一歩ずつ進んでいこうと思いました。
次回は、
**【リハビリの中で見えてきた、絶望と小さな希望】**
について書こうと思います。
