
子どもの頃。
学校から帰ると「おやつ」が待っている家が、少しうらやましかった。
あなたの家には、ありましたか?
戸棚に並んだ甘いお菓子。
「おかえり」の声と一緒に出てくる、温かいお茶とクッキー。
私の家には、ありませんでした。
正確に言うと、「おやつ」という概念がありませんでした。
お金がなかったので、ごく稀にしか買えません。
親に「欲しい」と言うこと自体、どこか贅沢で、口に出してはいけない気がしていました。
だから私は、考えました。
どうすれば、この空腹を満たせるか。
学校から帰ると、誰もいない台所からこっそりマヨネーズを持ち出す。
そして、外に生えている野草を摘み、それにつけて食べていました。
今思えば、栄養バランスも何もあったものではありません。
ほぼ、野草にマヨネーズを信じさせて生きていました。
それは、惨めだったか、と聞かれたら。
不思議と、そうでもないんです。
なぜなら私の中では、
「今日の野草は、当たりか外れか」という、小さなゲームが始まっていたから。
苦すぎる日は、ハズレ。
マヨネーズ多めで必死に誤魔化す。
意外といける日は、当たり。
心の中で、ひっそりガッツポーズ。
そこで私が覚えたのは、
「我慢」ではなく「工夫」でした。
野草の名前なんて知りません。
ただ、苦すぎないものを、自分の目で選ぶ。
量は少しずつ。大人に見つからないように。
今なら衛生的に完全にアウトですが、
当時の私は、真剣に「生きるための研究」をしていたのだと思います。
大人になった今。
私がキャンプを好きになり、限られた道具や自然の中で火を起こし、どうにかしてご飯を作るのが好きなのは、案外この「野草サバイバル」が原点なのかもしれません。
もしあなたが今、
「自分は環境に恵まれていなかった」と、過去を振り返って苦しくなることがあるのなら。
どうか、少しだけ視点を変えてみてほしいのです。
その足りない環境の中で、
あなたは、知らず知らずのうちに「何か」を身につけてきたはずです。
じっと耐える力ですか?
泣きながらでも笑う力ですか?
それとも、私のように「どうにかする」と考える力ですか?
人は、足りないものの中でこそ、
意外なほどの「強さ」を密かに育てているものです。
あなたのその過去は、決して無駄なんかじゃありません。
人生は、大人になった今でも、思い通りにならないことだらけです。
でも、
野草とマヨネーズで鍛え上げたあの発想力は、
今もちゃんと、迷ったときの私を助けてくれています。
これは、まだ私の始まりの話。
次は、
**「13~18歳。貧乏だったのに、なぜか楽しかった思春期」**
その不思議な理由について、書こうと思います。
どうかまた、温かいお茶でも飲みながら、読みに来てくださいね。
