【第三十二話】「一緒にいるのがしんどい」夫との衝突。相談会で救われた言葉と、主治医変更の決断

自分たちで前へ進む。
そう覚悟を決めて退院したものの、現実は思っていたより簡単ではありませんでした。

毎日、自宅での手探りのリハビリ。
夫本人も、一生懸命頑張っています。
それでも、「きゅうり」という簡単な言葉が出てこない。

もっとやればいいのか。
量が足りないのか。やり方が悪いのか。

焦ったらダメ。
頭ではそう分かっていても、どうしても焦ってしまいました。

ある日、夫は義母と弟さんと一緒にお墓参りへ行きました。
無事に帰ってきたとホッとしたのも束の間、帰りにコンビニへ寄り、ビールとタバコを買っていたことが分かりました。

仕事から帰って、話をしました。
新しく買ったタバコは私が預かりました。
病気のこと。てんかん発作のこと。これからのこと。
真剣に話すと、夫も黙って聞いてくれました。

この時の私は、**タバコだけはこのまま絶対にやめてほしい**と強く願っていました。

リハビリがうまくいかない日もありました。
夜になると、ビールだけではなく焼酎も飲みたいと言う。
「それでは量が増えてしまう」と伝えると、その日はなんとかビール1本で終わりました。

でも、正直なところ、私の心は少しずつ疲弊していました。

退院後、初めて長めの散歩へ行きました。
川沿いを往復40分。途中で職場の後輩にも会いました。
みんな、今も心配してくれている。それが本当にありがたかった。

散歩は、リハビリの時間でもありました。
「この川の名前は?」
最初は出てこなくても、10分後には自分で答えられた。

「自分の自治会は?」
すぐ答えられた。

「隣の自治会は?」
あと少しのところで止まったけれど、最後には思い出せた。

少しずつ。本当に少しずつ。
夫は前へ進んでいました。

頑張った結果、発作から2か月後。
夫は、ついに職場へ復帰しました。

そして復帰から1か月後、発作が起きてから初めて夫婦でキャンプへ行きました。

心配はありましたが、良い気分転換になったと思います。
焚き火の前で、夫が初めて本音を話してくれました。

「……本当は、仕事を辞めたい」

病気になる前なら、そんな弱音は聞いたことがありませんでした。
仕事のことを熱く語る、昔気質の人でした。
焦らなくてもいい。そう思う反面、高次脳機能障害を抱えたまま仕事を続けることへの「計り知れない苦しさ」が伝わってきました。

その後、夫は少しずつお酒の量が増えていきました。
そしてお酒を飲むたびに、『仕事を辞めたい』とこぼすようになりました。

病院(前の主治医)にも頼りきれない。
でも、自分たちだけではどうしていいか分からない。
そんな中で、私は『高次脳機能障害の研修会』があることを知りました。
初めて外へ助けを求めました。

参加した研修会。
そこには、患者さん本人や同じ境遇の家族の方がいて、専門の先生の話も聞くことができました。
たくさん勉強になりました。でも、何より大きかったのは、

**苦しいのは、自分たちだけじゃないんだ**

そう知れたことでした。
孤立していた私の肩から、少しだけ力が抜けました。
(本人は、まだ自分の病気について十分理解できている感じではありませんでした)

復帰から2か月後。
家の中で、夫が隠していたお酒が見つかりました。
そのことで激しい口論になりました。

そして、夫から心に深く突き刺さる言葉を言われました。

「正直、お前と一緒にいるのがしんどい」

病気(脳のダメージ)の影響もある。
そう分かっていても、傷つかないわけではありませんでした。

ある日、テレビで『病院ラジオ(リハビリ病院編)』という番組を一緒に見ました。
突然日常を奪われた患者たちが、過酷なリハビリと向き合う姿を描いたNHKのドキュメンタリーです。

それを見ながら、私は夫に伝えました。
「こんなふうになったのは、病気のせいやから」
「今は何もできなくても、自分を責めんでいいよ」
「焦らんと、一つずつやっていこう」

すると夫は、静かにこう言いました。

「俺はただ、今すぐ仕事を辞めたいだけや」

それが、当時の夫の、痛いほどの本音だったのだと思います。

発作から3か月後。
私は、『高次脳機能障害支援相談会』の個別相談に参加しました。

そこで専門の医師に言われた言葉は、今でも忘れられません。

「職場復帰していること自体が、何より大変で一番ハードなリハビリなんですよ」
「ご主人は、今、十分に頑張っていますよ」

そして、私が退院直後からずっと気にしていたか『睡眠(長く寝てしまうこと)』についても教えてもらいました。

「長く寝るのは、薬の副作用ではなく、傷ついた脳が休息を必要としているからです」
「だから、寝られるだけ寝かせてあげてください」

涙が出そうでした。
私は、ずっと焦っていました。
もっとリハビリしないと。もっと頑張らせないと。もっと回復しないと。

でも、その焦りは、夫のためではなく『私自身の不安』から来ていたのかもしれません。

覚悟を決めたつもりだった。
それでも、私はまだ『以前とは違う夫』を受け入れきれていなかった。
そのことに、ハッと気付かされました。

そして私は、大きな決断をしました。
勇気を出して、病院に直接お願いをしたのです。

「主治医を替えてほしい」と。

冷たい言葉を投げかけた前の主治医から、結果として、てんかんセンター長の先生が担当してくださることになりました。

この決断が、私たちにとって『新しい一歩』になることを願いながら。
私はまた、夫と一緒に前を向いて歩き始めました。

次回は、
**【新しい主治医との出会い。そして夫婦で受け入れた『今の形』】**
について書こうと思います。

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