
何の前触れもなく、それは始まります。
気づいたときには、もう元の場所には戻れない。
何の予告もなく、静かにドアを叩いてくる。
あなたにも、そんな経験はありませんでしたか?
私は、それを何度も経験してきました。
「まさか、自分が」
その連続が、私のこれまでの人生でした。
貧しくて、お金がないことは恥ずかしいことだと思って育った幼少期。
でも、ないなら考える。できないなら工夫する。
そこで身についたのは、我慢ではなく「生きていく知恵」でした。
思春期は、不思議とよく笑っていました。
笑いは、心に余裕があるから生まれるものじゃない。
ギリギリで、余裕がないときにこそ、生きていくための「ユーモア」が必要だったんです。
大人になってからも、人生は順番なんて守ってくれませんでした。
結婚、出産。
そこから怒涛のように押し寄せた、裏切り、火事、介護、大切な人との別れ。
子どもを育てるために、仕事と家事を両立しながらただ前だけを見て、息を切らして走り続けました。
体力と気力は、使い切るほど強くなる。そう信じて。
そして今。
夫はくも膜下出血という大きな病気をし、高次脳機能障害が残りました。
以前のような、他愛もない会話はもうできません。
それだけで、世界はずいぶんと静かになるものです。
それでも——。
夜が明ければ、朝は来ます。
足元では愛猫が「ごはん」と鳴いてすり寄り、柔らかな体温を伝えてくる。
私は、お気に入りの少し無骨なグレーのマグカップで、いつものようにコーヒーを淹れる。
週末になれば、陶芸の冷たい土の感触に心を預けたり、
キャンプの焚き火の炎を見つめながら、静かに息を吐き出したりする。
人生は、決して思い通りにはなりません。
でも、生きていることの尊さは、壊れたあとに、静かな日常の中で気づくものだと思っています。
大丈夫じゃないまま、ここまで来た。
きれいに整った人生じゃなかった。
それでも、今日を生きている。
それだけで、もう十分だと、私は思っています。
もし今、あなたが何かに疲れ、ギリギリのところで立っているのなら。
この場所が、ほんの少しでもあなたの心を休める「温かい焚き火」のような場所になれば嬉しいです。
これは、そんな私の、まだ始まりの話。
次は、
**「~12歳。お金がなかった家で、私が最初に覚えたこと」**
について書こうと思います。
どうか、肩の力を抜いて、またここに遊びに来てくださいね。
