平日は立ち仕事、休日は送迎。ずっと「なんとかする側」で走り続けた私

気がつけば、私はいつも
「なんとかする側」に立っていました。

困っている人がいれば、動く。
足りないものがあれば、探す。
空気が重くなれば、軽くする。

特別な決意があったわけじゃありません。
ただ、自分が動くのが一番早かったから。

29歳から47歳。
私の30代から40代にかけては、まさに「駆け抜けた」という言葉がぴったりな日々でした。

子どもは、3歳離れた息子と娘の2人。
仕事は、30年以上「接客業」を続けてきました。

平日は、一日中笑顔で立ち仕事をして、クタクタになって帰宅する。
そこから息をつく暇もなく、夕飯を作り、お風呂に入れ、明日の準備に追われる。
そして休日は、子供たちの習い事、塾の送迎で、休む間もなく車を走らせる。

「疲れた」なんて立ち止まる余裕すら、ありませんでした。

子どもの頃から「ないなら工夫する」が当たり前だった私は、
大人になっても、母になっても、同じように動いただけでした。

誰かに「頼る」「助けてもらう」という選択肢は、
正直、当時の私の頭には浮かびませんでした。

頼るくらいなら、考える。
相談する前に、解決策を出す。
弱音を吐く前に、ひとりで処理する。

「大丈夫、私がやるから」
その一言で、だいたいのことは片づいていきました。

周りから見れば、私は仕事と子育てを両立する“強いお母さん”だったと思います。
でも本当は、強いというより**「止まれなかっただけ」**でした。

頼らないことは、自立だと思っていた。
泣かないことは、大人だと思っていた。
弱さを見せたら、また夫が離れると思っていた。

でもあるとき、ふと気づいたんです。

私は、“なんとかできる人”ではあったけれど、
“なんとかしてもらう人”には、なれていなかったな、と。

それは少しだけ、さみしいことでした。

強さって、全部ひとりで背負うことじゃない。
頭ではわかっていたはずなのに、体は昔の「貧乏だった頃の癖」のままでした。

困ると先に動く。
疲れても笑う。
しんどくても「平気」と言う。

それは美徳というより、長年染みついた「サバイバル術」でした。

でもある日。
自分が病気になり、手術をすることになったとき。

本当に少しだけ、勇気を出して誰かに頼ってみたんです。

大げさなことじゃありません。
ただ、「ちょっと手伝ってほしい」と言葉に出してみただけ。

拍子抜けするくらい、世界は何も変わりませんでした。
責められもしないし、がっかりもされない。

ただ、ほんの少しだけ、
張り詰めていた肩の力が、ふっと抜けました。

「なんとかする力」は、今でも私の心強い味方です。
でも、なんとか“しなくてもいい日”があってもいい。
なんとか“してもらう日”があってもいい。

子育てが少しずつ手を離れ始めた頃、
やっと、そう思えるようになってきました。

私はずっと、なんとかする側で、い続けてきた。
でもこれからは、少しだけ立ち位置を変えてみたい。

強いままでいい。
でも、もう強がらなくてもいい。

それが、仕事と子育てを必死で駆け抜けた私がたどり着いた、
新しい「生き延びる工夫」でした。

さて。
こうしてようやく「少し肩の力を抜くこと」を覚えた私でしたが、
人生って本当に、思い通りにはいきません。

次回はいよいよ、このプロフィールシリーズの最後。
**「48歳〜現在。夫の大病と介護、そして日常の尊さ」**について書きます。

壊れたあとに見つけた、今の私の「始まりの場所」のお話です。

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