【第三十話】LINEで届く「宇宙からの交信」と、ジャージを巡る連想ゲーム

入院から13日目。
夫が少しでも外と繋がれるようにと、スマホを預けてきました。

まずは、簡単な操作の練習から。
でも、たった4桁の画面ロックの暗証番号が覚えられません。
何度やっても、途中で分からなくなってしまいます。

それでも、焦らない。
月曜日から始まる本格的なリハビリを頑張ろう。今は、ただそれだけでした。

14日目。
早朝、夫からLINEが届きました。

『また、う』
『うえ』
『くこし人』
『今週末の酢』
『こご』
『確認するわ!』

……どう考えても、意味が分かりません。

仕方がないので、「電話して」と返信しました。
文字だけでなく、頭の中で言葉がうまく出てこないため、夫からのLINEはまるで「宇宙からの交信」のようでした。

(※失語症の回復期には、このように実在しない言葉や無意味な音を並べてしまう「ジャーゴン(宇宙語)」と呼ばれる症状が出ることがあります)

9時頃、家に電話がかかってきました。
一生懸命に話を聞いていくうちに、どうやら『枕』と『お金』を持ってきてほしいらしいことが分かりました。
なんとか正解。まるでクイズ番組のようです。

明日から、本格的に言葉のリハビリが始まります。
頑張って復活できますように。
そして、絶対に禁煙、禁酒。

その日の夜。
また夫から電話がかかってきました。

「軽トラ!」
「いつも頼んでたやつ?」
「冬に!」

まったく分かりません。
ここから、夫婦の連想ゲーム開始です。

「ジャージ?」
「ズボン?」
「サッカーの?」
「アンブロ(スポーツブランド)とか?」

すると、夫が嬉しそうに言いました。
「それ!」

やっと正解。
「パジャマのズボンなら、いっぱい持って行ってるやん」
と言うと、どうやらそれとは違うらしい。

結局、理由はよく分からないまま、「明日ジャージのズボン持って行くから」ということで話はまとまりました。

15日目。
夫から電話。
「今向かってるんやろ?」
「来てからまた言うわ」

退院の話だったらどうしよう。私は少し焦りました。

病院に着いて話をすると、自分が救急センターからてんかんセンターへ転院してきた日を、まったく把握できていませんでした。

カレンダーを見せながら、ゆっくりと説明します。
すると突然、夫は真顔でこう言いました。

「俺、前の病院(救急センター)で、地下(霊安室)におったんやで」

本当なのか。
それとも、薬やせん妄が見せた幻覚なのか。
私が戸惑っていると、本人は最後にこう言って笑いました。

「まぁ、どっちでもいいねんけどな」

なんとも夫らしい、豪快な一言でした。

その後、言語聴覚士さんによる言葉のリハビリが始まりました。

漢字は読める。
自分の名前も書ける。
でも、ひらがなが書けない。
簡単な漢字の書き方も思い出せない。

失った言葉の回路を引き出すためのリハビリが、これから必要とのことでした。
頑張れ。
私は心の中で、本当にそれしか言えませんでした。

16日目。
今日もリハビリをしたらしい。
でも、本人はその内容を覚えていませんでした。

職場の人の話をすると、「みんな覚えてるわ」と答えます。
過去の記憶は、確かにある。
でも、言葉が出ない。

失語症のリハビリが進めば、このバラバラになった記憶も整理されていくのだろうか。
心配は尽きません。
でも、焦らない。焦らない。

17日目。
今日は仕事だから病院へ行けない。
そのことは、事前に夫に伝えてありました。

夕方18時頃。夫からLINEと電話が来ました。
「電話が切れない」
何のことか分かりません。

とりあえず、「今は仕事中だから終わったら電話する」とLINEで伝えます。
その後、仕事を終えてから電話をすると、
「明日でいいよ」
とのことでした。
結局何だったのかは、分からないままでした。

18日目。
夫からのLINEは、普通に文字が打てる時と、宇宙語になる時が混ざっていました。

面会へ行くとちょうどリハビリが終わったところで、言語聴覚士さんと直接話すことができました。

「伝えたい気持ちはすごくあるんです。でも、言葉にならない。だから本人も一番もどかしいはずです」
そんな現状を、優しく教えていただきました。

夫は、人生で初めて伸ばしたヒゲも「邪魔だから剃りたい」と言い出しました。
電動シェーバーを渡すと、不器用ながら自分で剃りました。

その日。
倒れてから初めて、夫の口から「私と子どもたちの名前」が出てきました。

いっぱい、いっぱい話してくれました。
でも、私が理解できたのは3割くらいでした。

それでも、嬉しかった。
言葉にならなくても、伝えたい気持ちは、痛いほど伝わってきたから。

そして、「退院したい」とも言い出しました。
もちろん今はまだ無理です。
でも、退院後の未来のことを自ら考えられるようになったのは、確かな回復の証でした。

19日目。
16時に「シャワーの予約がある」と言って、一人でシャワー室へ向かいました。

新しく買った車の納車の話をすると、それはしっかり覚えていました。
ただ、直近の記憶障害はまだ続いていました。

焦らない。焦らない。

20日目。
子どもたちの写真を見せました。
でも、名前が出てきません。

「私は?」と聞くと、
私の顔を見て、違う名前を言いました。

少し前には、言えていたのに。

一歩進んで、五歩下がる。
そんな気持ちでした。

それでも、信じるしかない。
いつか戻る。
絶対戻る。

21日目。
言語聴覚士さんとのリハビリ中。
先生からは、「先週よりも、改善していますよ」と言われました。

その言葉が、本当に嬉しかった。

「会社、3ヶ月くらい休んだら?」
私が夫にそう聞くと、夫は笑って答えました。

「大丈夫や」と。

家族の名前も、昨日よりはなんとか言えるようになっていました。

少しずつ。
本当に少しずつ。

失った言葉のパズルを一つずつ取り戻しながら、
夫はまた、前へ進もうとしていました。

次回は、
**【突然の退院と、自力で回復への道を探す日々】**
について書こうと思います。

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