【第二十九話】「ここ、どこ?」人工呼吸器が外れた夫と、開けなくなったスマホ

入院から6日目。
ようやく人工呼吸器が外されました。

面会に行って顔を見た瞬間、夫が泣き出しました。
まだ声はうまく出せません。
それでも、何かを伝えようとしていました。
言葉にならない声を必死に絞り出そうとする姿を見て、
**あぁ、伝えたいことがあるんやな**
そう思うと胸が熱くなり、涙が止まりませんでした。

生きていてくれてよかった——。

肺炎の影響で痰も多く、排出用の管だけはまだ外せませんでした。
咳をするたびに、苦しそうな表情を見せます。
見ているだけで辛かった。

それでも、今日も夫の『左手』は、私の手を力強く握り返してくれました。

右手は、まだ時間がかかりそうです。
でも少しずつ力は戻っているように見えました。

身体のことは大丈夫。
リハビリをすれば、必ず回復できる。
私はそう信じていました。

問題は、脳でした。
発作は薬で抑えられている。でも、また起きないという保証はありません。
今はただ、このまま落ち着いてくれることを祈るしかありませんでした。

7日目。
呼吸用の管もすべて外れ、自分の名前を言えるようになりました。
それだけで、涙があふれました。

ただ、言葉はまだスムーズに出てきません。
先生からは、「これから言葉のリハビリを進めていきます」と説明がありました。

脳波の測定装置も外れ、昨日より声も出るようになっていました。
まだ状況の理解が追いついていない部分もあります。

でも、焦らない。
時間が解決してくれる。そう信じるしかありませんでした。
少しでも外と繋がれるようにと、この日、夫にスマホを預けました。

8日目。
夫は、自分でご飯を食べられるようになりました。
それだけでも大きな前進でした。

点滴や管を抜かないよう、まだ身体の拘束は続いていました。
記憶も完全には戻っていません。
でも、一歩ずつ。本当に一歩ずつでした。

9日目。
ご飯も自分で食べられていて、元気そうに見えました。
ただ、言葉はまだ出にくいまま。

念のため脳波検査を行いました。
結果は、「てんかん発作の波形なし」。

先生からも、「時間とともに落ち着いていくでしょう」と言われました。
その言葉に、どれだけ救われたかわかりません。

この日、夫が初めて私に聞いてきました。

「ここ、どこ?」
「なんで、俺こうなったん?」

私は、今回てんかん発作が起きたこと、救急搬送されたこと、そして今の状況を、できるだけ分かりやすく説明しました。

夫も頑張っている。
だから私も、恐怖に負けたくない。そう思いました。

10日目。
夫から電話がかかってきました。
声を聞く限り、だいぶ自分の状況を理解できるようになってきている感じでした。

近々、転院することになるという説明もしました。
理解できていたかは分からないけれど、ちゃんと聞いてくれていました。

「会社に連絡してない……」
夫は、仕事のことを心配していました。
「ちゃんと私から連絡してるから、大丈夫やで」
そう伝えると、少し安心したようでした。

11日目。
4人部屋へ移りました。
明日の転院について改めて説明しました。

理解しているような、していないような。そんな反応でした。
でも、持っていく服や靴の話をすると「そのままでいい」と答えていました。
転院すること自体は、なんとなく分かっているようでした。

しかし、昨日心配していた『会社の事』は、もうすっかり忘れていました。

失語症の検査。
言葉のリハビリ。記憶の問題。
そして、いつか職場復帰。

焦らず、ゆっくり。本当にゆっくりです。

12日目。
朝から介護タクシーに乗って、転院しました。
言葉はまだ出にくい。記憶も戻っていない部分がある。

案の定、車椅子に乗るのには抵抗しました。
でも最後は大人しく乗ってくれました。

転院先では、いつもの主治医ではなく、てんかんセンター長の先生から説明がありました。
何度も発作を繰り返しているのに薬が一種類だったので、有効性のある薬を追加で処方させてください、とのこと。
今後は言葉のリハビリが必要であること。期間の目安は2週間から4週間。

そして、先生はハッキリとこう言いました。

「これを機に、禁煙と禁酒は考えた方がいいですね」

家族としては、ずっと、何度も、先生の口から言ってほしかった言葉でした。

ただ、今はまだ本人自身が状況を十分理解できていません。
これから回復していく中で、夫が何を感じ、何を選ぶのか。それはまだ分かりませんでした。

帰り際。
夫のスマホは、ロックがかかってしまい、私が持ち帰ることになりました。

夫は、『自分のスマホのパスコード』さえ、思い出せなくなっていたのです。

残酷な現実でした。
それでも——。
**死ぬこと以外かすり傷**

命は助かった。
言葉も少しずつ戻っている。
記憶も戻り始めている。

また一からでいい。

焦らず。
ゆっくり。
本当にゆっくり。

夫はもう一度、自分の人生を取り戻そうとしていました。

次回は、
**【転院先でのリハビリと、見えない障害との本当の闘い】**
について書こうと思います。

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